2011年3月アーカイブ
2011年3月29日 22:17
震災で人生観が変わった50歳独身男子
(レオン課長宅にある非常袋)
私のブログ(VIVA!桜子の超気まま日記)では、ちょっとばかり有名な、50歳のチョイ悪オヤジのレオン課長。震災直後、人生観が変わったそうです。
・人生は何があるか分からない
・今持っているものも、いつ失うか分からない
・将来の備えをしていても、保障されるものは何もない
「ほんと、俺、考え方が変わった。 今この瞬間を大切に生きるのが一番大事だ」
と、いうようなことを言ってました。私も、まったく同感です。
9.11事件のときも、テレビで見た瞬間、わが目を疑いました。
映画の中でしかあり得ないと思った悲劇が、私たちの世界で現実になったのです。
今回の地震で、死ぬかもしれないと思った時、咄嗟に 聖書の一節を思い出しました。
ルカの福音書(21章20節から23節)
「・・・滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき・・・人々は山へ逃げなさい。
(中略)その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。
この地に大きな苦難が臨み、この民に御怒りが臨むからです。」
聖書によれば、この世の終わりは必ず来る、とあります。
それはある日突然来て一瞬にして消滅するものではなく、徐々に
世界各地に患難や飢饉、戦争、災害が起こり悪化していく、
というのです。
(※私のつたない聖書読解につき、真実を知りたい方は世界のベストセラー、聖書のご一読をお薦めします)
だから「その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女」を思い出したとき、
東北の妊婦や赤ちゃん連れのお母様が気の毒でなりませんでした。
世の中が終わるなんて、ウソだ~!!
と、思う方は多いでしょう。
私も俄かに信じがたいです。
だけど、
(しつこいですが)9/11に起こったビル崩壊や、大地震の災害をみるとき、
誰も明日のことは分からないし、世の終わりが来る可能性はある。
その可能性はないよ、と言い切れる人は誰一人いないと思うのです。
もちろんそうでないことを望みます。
聖書では、そういう時代に人々の心は
次のように変化する、とあります。
「不法がはびこるので、
多くの人たちの愛は冷たくなります。(聖書)」
この箇所を読んだとき、私はぞっとしました。
世の中が酷くなれば、愛がなくなるのは想像に難くありません。
余裕があるときは他人に優しくできる。
でも、もしも
自分がピンチだったら、絶対に優しくできない!と私は思いました。
でも、だからこそ、そういう時に心優しい人になれたら、どんなに素晴らしいか!!
今日は若干、真面目なことを書きすぎてしまいました
![]()
最後に、〆として、大好きな
ルターの言葉を紹介します。
たとえ明日世界が終わりになろうとも、私は今日リンゴの木を植えよう。
(マルティン・ルター)
みなさん、いつもリンゴの木を植えることが出来る人になりたいですね。
それでは、おやすみなさい。m(__)m
2011年3月25日 23:20
市川海老蔵の家
先日、家の近くを散歩したら、お屋敷通りがあった。
お勝手口と表示されている家がいくつも立ち並んでおり、
「ああ、お手伝いさんがいるんだな~」
と思いながらその通りを抜けたら、
ワイドショーで良く見る家の前に来た。
これは・・・
これは・・・
市川海老蔵の家!?
表札をみたら、市川、ではなかった。だが、私は思い出した。
本名は違うことと、同僚が「きみんちってさ、海老蔵んちのそばじゃない?」と言っていたこと。
そうだ、間違いなく、市川海老蔵家だ!
私はテレビのブラウン管からではなく、目で直接その家を見た。
正直、可哀想だった。
こんな場所でマスコミに張られているのである。
プライバシーはぜんぜんない。
実際、そのあとに〝震災直後、海老蔵は妻を連れて車で西へ避難した〟
と、報道されていた。マスコミが張っていたに違いない。
かわいそうだなあ。見張られているっていうのは。
そういうわけで、携帯写真におさめなかった。
ちょっと可哀想に思ったから。
2011年3月23日 21:45
渋谷に水がない!
震災から10日たった。
私事ですが---(というか、ブログは全て私事っ!
)震災後からずっと、会社を休んでいる。数日前から微熱が続いたため、病院へ行ったら2週間休め、と診断されたからである。それが偶然、今回の震災と重なった。
連日おとなしく家で安静にする日々・・・しかし、震災後ということでテレビをずっとつけっぱなしにして、家で誰とも会わずにいると、ACのCMが流れるたびに、ドッと疲れるようになってしまった。
人は一人では生きられなことを改めて感じるとともに、このままでは自分が化石化していく気がして、気が向いたときには、近所を歩いてる。
それが、今日で10日目。
渋谷はだいたい18時に店じまいして、スーパーに物がないのも、ビックカメラやLAVIに電池がないのも当たり前になった。やがて落ち着くだろう、と思っていたのに、今日の夕方、水が危ないという報道が流れたから驚いた。
慌てて、マルエツプチや、ナチュラルローソン、ファミマなどを歩き回ったが、お水はぜんぜんなかった。
買い占めしないで、というけれど、最低限のお水はほしい。
だって、1歳未満の子は飲むな、という水道水は、少なくとも安全ではないのだ。
水道水を浄水器でろ過しても、放射線汚染は消えないのだろうか?
テレビで解説者が、「東京野水道水に影響が出たのは昨夜の雨が原因では?」
と言った。
もしそれがホントなら、さっきも雨が降った。
東京の水道水はさらに危なくなるのか?
誰も先の事は予測できないだけに、
買占めしないで、という政府の報道は、必ずしも信用できるものではないと思ってしまう。
これから、日本はますます先が予測不能になる。
2011年3月16日 00:44
陸の孤島での震災、わたしの場合(4)
ホテルは天国だった。
まず、いままでいたレストランに比べて、暖房が暖かかった。
私たちがいた中華料理店は、巨大ビルの中にテナントで入っていたお店だったから、
レストランを出てお手洗いに行くたびに、外気が入って寒かった。
しかし、ホテルはソファーがふかふかで、
ロビーにいる人たちは、みな私たちと同じビジネスマンと見受けられ、
運命共同体だよね、というような連帯感がそこにはあった。
ここだったら夜明かししてもいいや、と思った。
一番座りやすそうな場所がちょうど空いていたので、そこに座った。
そして、ホテルの館内放送が流れ、1階と2階にいる人たちだけ、
特別に泊まってよいとアナウンスされた。
目があったビジネスマンの人と、お互いに大変ですね、と会話をするようになった。
夫は無言だったが、私はその人と世間話をして、気分が上がり始めた。
ひとまず今夜の宿が見つかったという安堵感はとても大きかった。
おまけに、しばらくしてから女性と体調の悪い人だけ、宴会場を解放するからそこで寝てよい、という。私は夫を残し、宴会場が開くのを待つ人の列に並んで、隅っこの寝やすそうな場所をとった。
しかし、ここで、ホテルマンの方が具合が悪い人はいないかと言う。
「いたら遠慮なく言うように」と何度もいうので、実はずっと体調が悪かった私は申告した。
すると、ホテルマンの人がホントに大丈夫かと念を押し、もっと具合が悪かったらもっと言ってくれ、というようなことを仰る。いぶかしく思ったものの、毛布をくださるだけで、十分うれしかった。
しかし、宴会場にいざ、私だけに毛布を2枚持ってきてくださると、大勢の中で自分だけが贔屓されて、すごくバツが悪かった。だが、近くにいた女子軍団が「使ってください」とカイロをくれたので、感動した。こんな災害時は心が殺伐とするのが常なのに、親切な心は胸に染みた。
そして30分ほどたったころだったろうか、ホテルマンが傍らに来て、移動しませんかと薦めてきた。聞けば、ホテルとしてお客様に貸せない部屋が一つだけあるからそこに移動して頂くことが出来ます、という。
頂いた名刺を見たら、支配人だった。
フロントまでエスコートされてチェックインしたあと、ベルボーイがお部屋まで案内してくれた。
ドアを開けたら、なんと、普通の部屋だった。(少なくとも私にはそう見えた。実際には震災でひびが入っていたが)
おまけにベッドサイドにはスリッパ二つとパジャマ二つが置いてあり、どう考えても、夫のために用意されているとしか思えなかった。
夫に連絡すると、またまた真面目なことを言い、
「自分だけお部屋で寝るなんて悪いからいいよ。ひとりで寝なさい」と言う。
しかし、夫が来なかったらこのスペースは無駄になるのだ。
私は夫を必死で説得して、なんとか来てもらった。
夫は悪いなあ、と言いながら、シャワーを浴びていた。私はただただ神様に感謝だった。
こんな日に、こんな場所で、しかも家族(夫)と一緒にいられるなんて、ものすごい偶然と幸運としか言いようがなかった。体調が悪いことを気にしてくれていた両親に、さっそくこのことを連絡したら、親もたいそう喜んで、神様を賛美していた。
夫との考え方や価値観の違いで、どっちが悪いかとか、どう判断すべきかとか悩んだが、結局どっちがどうこうという前に、それらが織り合わさって、最終的に頂く恵みがすべてだ、と思い知った。
色々なことを考えさせられ、また教えて頂いた一夜だった。
2011年3月15日 23:50
陸の孤島での震災、わたしの場合(3)
私の夫は穏やかな性格だ。
震災によって、不穏な空気が流れたが、
現場確認をすますと私の手をとり、JR駅まで歩いてくれた。
駅には大勢の人が詰め寄っていて、コンビニは人であふれていた。
駅員が私たちを完全にシャットアウトするので、日もだんだん暮れてきたから、
レストランか喫茶店で時間をつぶすことにした。
17時開店ちょうどに中華料理店へ入った。
ウエイトレスは、「地震で火を使った料理は作れませんがいいですか?」
と尋ねてきた。時間つぶしで寄ったお店だから、何でもよかった。
だが、私たちは最終的に、このお店に21時までいる羽目になった。
お手洗いに立って、ふとレストランを出てみれば、
ビルに集まる人は時間が経つごとに増えてきて、どのレストランも満員だった。
疲れた人々は、ビルの廊下地面にそのまま腰かけて座っている。
そういうのを見るたびに、JRが動くまではレストランから出られない、と思った。
そんななか、会社から入った連絡は貴重な情報だった。
「今日はJRは一日動かないと発表されました!」
目からうろこだった。通信が途切れると、遠隔地で入手できる情報はあまりにも少ない。
さらに社員(課長)は、こう言った。
「もしも、桜子さんが、歩いて帰る場合は、ベイブリッジを渡ってください!」
卒倒しそうだった。
時計を見たら19時近くだ。日もどっぷりと暮れて、寒さも厳しい。
私は方向音痴なのに、どこにどうそびえ立っているか分からないベイブリッジを渡るのか?
だいたい、近くのおじさん軍団がこう言ってた。
〝ベイブリッジは封鎖されているらしいぞ〝
--それはあまりにも危険な賭けだった。
かといって、
レストランは24時間営業しているわけじゃない。
さて、今日はいったいどうしよう!?
そこへちょうど父からメールが来た。
「無理に帰宅するな。一晩過ごせる場所を確保しろ」
持つべきは、年の功と言うか、さすが、親である。
夫に慌てて提案した。
「ホテルに身を寄せよう!」
ホテルがどういう状態かわからなかったので、私たちは一人がレストランに残って、一人は偵察にいく分業をして、2つのホテルを見比べ、ホテルAに身を寄せた。
私たちの居場所はあるかわからないが、一か八かだ。
21時過ぎ、ホテルへ移動した。
そして、それが思いがけない好天をもたらした。
(つづく)
2011年3月15日 23:17
陸の孤島での震災、わたしの場合(2)
リテールテックは、すでにイベント中止のアナウンスが流れていた。
私はレオン課長等知り合いに会いたかったが、それどころじゃなくなった。
夫にどうやって帰ろうか、と相談したら、
「中止になったのなら、現場の片づけがきちんと出来ているかどうか確認しなくては」
と言いだし、クライアントや施工業者に電話をかけ始めた。
当然、電話はつながらない。
いまは地震再発の恐れもあるので、さっさとこの場を退くべきだと私は思ったが、
そういう無責任なことは自分には出来ない、と言って、なんと人の波を逆行しながら
彼がイベント会場の奥へ奥へと入っていく。
私はふつう、こういうことはしないよな、とっとと逃げるよな、と思いつつも、
夫に従うしかないので、彼の後を追いかけた。
イベント会場はにっかぽっかを着た人たちなどトンカチを持った現場の人がいて、
私のようなビジネススーツ姿は少なかった。
また、彼が手がけたブースには誰もおらず、クライアントはとっとと片づけてここを去った跡が見られた。撤収すべきソファーや板だけが寂しそうにぽつんとそこにあり、私は彼を責めた。
「ほら、みんな、さっさと要領良く帰っているんだよ。こんな真面目なことしてるの、私たちだけだよ。だいたい、どうしてそこまで面倒をみるの?そこまでの契約を結んでいるの?」
問うと、結んでない、という。
なおさら、人が良すぎる!と思った。
さらに聞けば、クライアントは車で来ていた、という。
「だったら、私たちもその車に載せて頂いていれば良かったじゃない。今ごろは、きっともう、レインボーブリッジを通り過ぎてるよ!」
私は暗くうつろな顔になり、彼は彼で、私がこんな女だったとはまったく思いもしなかったようで、私の性格にショックを受けていた。
東京国際展示場で、お互いの考え方/生き方の違いを発見し、
私たちは夫婦として、試練のときを迎えた。
2011年3月15日 22:01
陸の孤島での震災、わたしの場合(1)
3月11日は、リテールテックというイベントの最終日だった。
開催地はお台場近くの、東京国際展示場駅前だ。
私は14時過ぎになって社を出ると、新橋駅からゆりかもめ線に乗った。
この日はとても不思議な日で、ふだん、夫と私は仕事の話をあまりしないのだが、
偶然話したら、夫もちょうど行くと言う。だったら合流したい!といったら嫌な顔をされた。
「時間が折り合うかわからないし・・・」と言うので、じゃあ当日は会えたら会おうと、
ゆるい約束を交わした。
結果、その会話はとても有効なものとなった。
駅のホームに降りた途端、震災にあうなんていったい誰が想像しただろう・・・!
地面が激しく揺れ、傍らにあった電車(ゆりかもめ)が、大波のごとく揺れたとき、
死ぬかもしれない、と初めて思った。とっさにお腹を抱えてしゃがみこんだが、
駅のホームはガラス天井だ。これが割れたら、たぶん、死ぬ。
幸い、地震は止んだ。
ホームにいた人々が一斉に改札口に走り出す。
私も外に出て落下物がない場所へ移動すると、携帯を鳴らし続けた。
(震災の時のリアル写真はここをクリック)
つながらなくて、何度も何度もかけて、やっとつながったとき、
彼は国際展示場内にいた。大勢の人ごみの中で彼を発見した時は泣くよりも先に、
会えたことの方がうれしくて、思わず、笑顔を見せてしまった。
そんな私に、彼は開口一番、誇らしげにこう言った。
「あのさ、俺、偉いと思わない?
一番最初に、桜子に電話したよ。
つながらなかったけど、会社に電話する前に、桜子に電話したんだよ」
何を言ってるのか、分からなかった。次第に理解でき、殴ろうかと思った。
「そんなの、あたりまえだよ!私だって最初に電話した!!!」
私などは何の迷いもなかったのに、彼はそういう心境だったのか。
ずっこける気分だった。
彼はのんきに笑い返していたが、私は内心、恨めしかった。
(つづく)
2011年3月 7日 23:02
結婚したい女に見られる2タイプ(続き)
リーク元は、夜の遊び場にいた知人男性です。
彼いわく、
「なんでそんな若くして焦るんだろうな~。
その必要なんて、ぜんぜんないのに」
これを聞いて、20代女子はどう思うでしょうか?
ちっとも、慰めになんてならないでしょうね。
だって、
①学生時代の友達はそろそろ結婚し始めているし
②男の人は、若い方がイイって言うし
③ほっといたら、私も負け犬の仲間入り~
なんていうふうに、思うだろうからです。
2011年3月 2日 12:15
結婚したい女に見られる2タイプ
みなさん、こんにちは。桜子です。
今日はお天気で気持ちいいです。
ただいま、赤坂ミッドタウンから、ランチを取りながら、ブログを書いてます。
このあいだ書いた、
「幸せという名の結婚をつかみたい」について、
男性読者から、
・お前のブログ、嫌味だよな~。
・お前は幸せつかんでるからいいけどさー
と、
言われました。
みなさん、
嫌味で、
すみません。
しかし、私が本当に言いたかったことは、
Profile

エッセイスト・インタビュアー
桜子
- 東京・杉並区出身。通信会社に勤務する傍ら、メルマガを書き始め、恐れを知らない素人の強みでインタビューを開始。思いがけず、錚々たる顔ぶれのリーダーが協力してくれ、ブログ開設、アスキーjpへの連載と続く。ふと気づけば、エッセイストとインタビュアーの草鞋をはく。社業以外に東奔西走する自分を温かく見守ってくれる読者、取引先、会社に支えられながら、運良く今日まで辿り着いた、人気ブロガー。
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