2011年3月16日 00:44
陸の孤島での震災、わたしの場合(4)
ホテルは天国だった。
まず、いままでいたレストランに比べて、暖房が暖かかった。
私たちがいた中華料理店は、巨大ビルの中にテナントで入っていたお店だったから、
レストランを出てお手洗いに行くたびに、外気が入って寒かった。
しかし、ホテルはソファーがふかふかで、
ロビーにいる人たちは、みな私たちと同じビジネスマンと見受けられ、
運命共同体だよね、というような連帯感がそこにはあった。
ここだったら夜明かししてもいいや、と思った。
一番座りやすそうな場所がちょうど空いていたので、そこに座った。
そして、ホテルの館内放送が流れ、1階と2階にいる人たちだけ、
特別に泊まってよいとアナウンスされた。
目があったビジネスマンの人と、お互いに大変ですね、と会話をするようになった。
夫は無言だったが、私はその人と世間話をして、気分が上がり始めた。
ひとまず今夜の宿が見つかったという安堵感はとても大きかった。
おまけに、しばらくしてから女性と体調の悪い人だけ、宴会場を解放するからそこで寝てよい、という。私は夫を残し、宴会場が開くのを待つ人の列に並んで、隅っこの寝やすそうな場所をとった。
しかし、ここで、ホテルマンの方が具合が悪い人はいないかと言う。
「いたら遠慮なく言うように」と何度もいうので、実はずっと体調が悪かった私は申告した。
すると、ホテルマンの人がホントに大丈夫かと念を押し、もっと具合が悪かったらもっと言ってくれ、というようなことを仰る。いぶかしく思ったものの、毛布をくださるだけで、十分うれしかった。
しかし、宴会場にいざ、私だけに毛布を2枚持ってきてくださると、大勢の中で自分だけが贔屓されて、すごくバツが悪かった。だが、近くにいた女子軍団が「使ってください」とカイロをくれたので、感動した。こんな災害時は心が殺伐とするのが常なのに、親切な心は胸に染みた。
そして30分ほどたったころだったろうか、ホテルマンが傍らに来て、移動しませんかと薦めてきた。聞けば、ホテルとしてお客様に貸せない部屋が一つだけあるからそこに移動して頂くことが出来ます、という。
頂いた名刺を見たら、支配人だった。
フロントまでエスコートされてチェックインしたあと、ベルボーイがお部屋まで案内してくれた。
ドアを開けたら、なんと、普通の部屋だった。(少なくとも私にはそう見えた。実際には震災でひびが入っていたが)
おまけにベッドサイドにはスリッパ二つとパジャマ二つが置いてあり、どう考えても、夫のために用意されているとしか思えなかった。
夫に連絡すると、またまた真面目なことを言い、
「自分だけお部屋で寝るなんて悪いからいいよ。ひとりで寝なさい」と言う。
しかし、夫が来なかったらこのスペースは無駄になるのだ。
私は夫を必死で説得して、なんとか来てもらった。
夫は悪いなあ、と言いながら、シャワーを浴びていた。私はただただ神様に感謝だった。
こんな日に、こんな場所で、しかも家族(夫)と一緒にいられるなんて、ものすごい偶然と幸運としか言いようがなかった。体調が悪いことを気にしてくれていた両親に、さっそくこのことを連絡したら、親もたいそう喜んで、神様を賛美していた。
夫との考え方や価値観の違いで、どっちが悪いかとか、どう判断すべきかとか悩んだが、結局どっちがどうこうという前に、それらが織り合わさって、最終的に頂く恵みがすべてだ、と思い知った。
色々なことを考えさせられ、また教えて頂いた一夜だった。
Profile

エッセイスト・インタビュアー
桜子
- 東京・杉並区出身。通信会社に勤務する傍ら、メルマガを書き始め、恐れを知らない素人の強みでインタビューを開始。思いがけず、錚々たる顔ぶれのリーダーが協力してくれ、ブログ開設、アスキーjpへの連載と続く。ふと気づけば、エッセイストとインタビュアーの草鞋をはく。社業以外に東奔西走する自分を温かく見守ってくれる読者、取引先、会社に支えられながら、運良く今日まで辿り着いた、人気ブロガー。
【web】http://sakurako.cc
【twitter】sakurako
コメント(2)
ほんとうに良かったですね。ホテルの人の背後に主がきっとおられましたね。お大事に。私は震災の日、四谷三丁目のさぬきうどんと杉並区役所の味噌汁とミニストップのソフトクリームと飴玉10個とで、丸の内から田無まで5時間半で帰り着きました。
冬の旅さん、まさにその通りです!
それにしても、さぬきうどん、なんだか美味しそうです。
5時間半のウォーキングでアイスクリームの分までエネルギーを消費されましたね・・・。おつかれさまでした。
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